十六世紀の大航海時代。アメリカ大陸へ侵入したスペインのコンキスタドールたちは、原住民の間で流布する伝説を知る。アマゾンの奥地に、無尽蔵の財宝を擁する黄金郷エル・ドラードがあると。
『アギーレ/神の怒り』(1972)は、監督も主演俳優も狂人で、さらに内容も狂人に関する物語であり、そのいずれもが、新境地開拓のためなら手段を選ばぬ人物である。
本作は冒頭から異様な迫力だ。雲が棚引く険しい山道を、百を超える人数が列を成して登り下りしている。カメラが寄り、過酷な責務を負う人々を捉える。武装したスペイン兵団、カトリックの僧侶、美麗に着飾った女性、馬、アルパカ、豚、鎖で繋がれた原住民の奴隷たち。奴隷たちは、大砲や、女性たちが乗る輿まで担がされている。
ポポル・ヴーの幽玄な音楽が素晴らしい。この音楽は、人為ではどうにもできない、アマゾンの河や森の唸りであり語りである。
探検隊長ピサロは、進路があまりに険しいため、本隊を留め置き、食料調達、エル・ドラードに関する情報収集のため、分遣隊を出すことにした。その隊長をウルスア、副長をアギーレ、スペイン王室の代表として貴族のグズマン、そして僧侶のカルバハルを同行させると決めた。
荒ぶるアマゾンの急流を、数床の脆弱な筏で渡る分遣隊。うち一つが渦に巻き込まれてしまう。救出しようとする隊長の指示に背反し、副長のアギーレは、手下を使い、この筏を砲撃する。
進行を断念し、本隊へ引き返す意向の隊長に対し、エル・ドラード征服の野望を抱くアギーレは謀反を起こす。隊長を銃撃し、貴族のグズマンをエル・ドラード国皇帝に立て、意のままに運ぼうとする。
アギーレはスペイン本国にも逆らって、傀儡国家を建てた訳だ。この辺り、ファシズムについての隠喩とも読める。これはドイツ映画でもあるため、連想を容易にさせる。けれども、本作はもっと様々な読み方ができるように開かれている。
エル・ドラードを目指す分遣隊は、言わば強欲な野望者たちである。初めは恐怖政治に従うしかなかった者たちにも、アギーレの征服欲が伝播していく。自分たちの行動、費やす時間は、エル・ドラードを占領する夢を見ることで、辻褄が合うからだ。
富のない所ですら富を占有しようとするスペイン王室、生き残るため権力にへつらうカトリック教会も戯画的に描かれる。
アギーレのような人物は敵前に置くといい。敵を攻撃し殲滅することに傾注できる者。こういう人は修羅場で活き活きし始める。味方に損害が及んだり自身が大怪我するような境遇になるなら、彼を焚きつけるものは益々燃え盛り、これよりもっと酷い地獄に叩き落としてやる、どいつもこいつも血まみれ火だるまにしてやると、勇気凛々、仕事に精を出す。
ところが、エル・ドラードには一向に辿り着かない。殲滅すべき敵もいない。
こういう状況になった場合、アギーレのような者は、持て余した嗜虐心を自陣の者に向ける。一人一人苛み、殺し、味方の数も減らしていく。それが自滅に繋がろうがなんだろうが知ったこっちゃない。最大の反逆者であること、神のように振る舞うことこそが、彼にとって重要だからだ。こんな人は傍から見れば、ただのキチガイだ。
アギーレは、遣る方なく、原始の風景を睨めつける。時間ばかり無尽蔵にあるが、現状を打開できない。
達成しない目標に囚われた、神経症的な状況である。本作のランドスケープ(画面に提示された人物の表情、挙動を含む)は、鬱病者、神経症者の心象風景に近い。氾濫する河面を注視する主観。その焦点がぼんやりと霞む。先に繋がらない、その場に漂うアクション。徒労感、堂々巡り。ラストのカメラワークにも表れる、進めない感じを強調するような円環運動。
木に登った帆船や、原生林の中で美麗に着飾った欧州女性など、シュルレアリスムの表現技法である「異化効果」(あり得ないものをあり得ないところに配置することで生まれる効果)が感じられるが、これもむしろ、無効感、無力感を表現しているかに想われる。
本編の最後で、アギーレはついに神となる。時折憤怒の発作に見舞われる、神経症持ちの怒れる神。その周りを、小さな人類が逃げ惑う。
よくもまあ、こんな映画を作ったものだ。けれどもこれは、キチガイとキチガイが手を組んで初めて成し得た、稀代の傑作である。
本作を読み解くにあたり、監督ヴェルナー・ヘルツォークによるドキュメンタリー『キンスキー、我が最愛の敵』(1999)が、いいサブテキストになった。
ヘルツォークは、十三歳の頃、母と、彼を含めた兄弟三人でミュンヘンの下宿に暮らしていた。女主人は生活に困った芸術家を援助していた。キンスキーは当時その近所の屋根裏に住み、膝まで枯葉を敷き詰め、素っ裸で飢えた芸術家を気取っていたそうで、近所でも評判の変わり者だった。
キンスキーはヘルツォークと同じ下宿の使用人部屋に移ってきた。ある日キンスキーは、何か不満があってか、使用人部屋の浴室に籠城し、二日二晩閉じ籠り狂乱状態で、浴槽も便器も粉々になるまで破壊し、四十八時間叫び続けた。大家は彼から家賃を取らず、食事や洗濯の世話までしていたのに、キンスキーは、彼女のアイロンがけが不充分だとヒステリーを起こし、体当たりで部屋のドアを弾き飛ばした。
縁とは不思議なもので、その後映画監督となったヘルツォークは、この狂人と五度も組み仕事をすることとなる。
キンスキーは憑依型の役者であると同時に、病的なナルシストだった。重度の自己愛性人格障害と推察される。
本作は、ピサロから全権を奪おうとしたアギーレの話であるが、キンスキーも、ロケ環境や劇の筋運びをヘルツォークから乗っ取ろうとした。
ヘルツォークは、人間のパトス全体が感じ取れる風景を切り取ろうとしたが、キンスキーはそれを理解せず、この世で唯一の魅惑的な風景は人間の顔だと主張した。本作はこの二人の闘争の記録でもある。
その日の撮影を終え、『アギーレ』のエキストラたちが四十五人、すし詰めの小屋で、酒を飲み、カードで遊び騒いでいると、それに怒り狂ったキンスキーが、小屋の外から銃弾を三発撃ち込んだ。この際エキストラの一人が、指先を吹き飛ばされた。
あまりに過酷な撮影環境のためか、気分屋のキンスキーが、突如『アギーレ』の撮影を放棄し、荷物をモーターボートに積み込み始めた。しかし、これは映画の神に見初められた作品なのだろう。ことは容易に終わらない。なにせ監督のヘルツォークも、狂人だからだ。
撮影現場から逃げだそうとするキンスキーを、ヘルツォークが脅す。「映画の完成を、個人の都合より優先すべきだ。私も銃を持ってるぞ。出ていくと言うなら、君の頭に八発撃ち込み、九発目で自殺する」と告げた。実際彼は銃を所持していた。本気の警告が効き、監督は主演俳優を引き留めた。
ヘルツォークも、己が気性の激しさを自覚している。この後の作品の制作時にもキンスキーと揉め、本気で彼を殺そうと襲撃に行ったらしい。けれども、キンスキー宅の番犬のシェパードに阻まれ、断念したそうだ。
この二人はお互いに、「本気で何度か殺そうと想った」と吐露している。しかしそれでも、映画祭などで再会すると、熱い抱擁を交わしたりする。
深い所で理解し合っているので、その愛憎も深いのだろう。誰かと、殺したいほど愛しい関係を結べるって、稀有なことではなかろうか。羨ましくもある。
ヘルツォークは『アギーレ』で組んだ当初から、「キンスキーは深い所で私の意図を理解した」と感じていた。彼が挑発し、キンスキーが発狂してようやくカメラを回し始めるからだ。キンスキーは、我は偉大なる反逆者、怒りの神だ、と荒れ狂うが、ヘルツォークは、喚き暴れ、やがて空っぽになり、静かに辺りを睥睨する狂人をカメラに収めようとした。しかしそれも、キンスキーには判っていたはずだ、と言う。
『フィッツカラルド』(1982)での撮影時、アマゾンの奔流で損壊した客船に、ヘルツォークは、一か八か乗り込み、撮影したいと考えた。河は荒れ狂い、船は沈むかもしれないという状況で、危険な計画だった。それに対しキンスキーは、「君が行くなら私も行く。君が沈むなら私も沈む」と言い、同行した。その撮影では実際、カメラマンの手が裂ける大事故が起こった。
キンスキーは言う。「ヘルツォークはクレイジーだ。じゃなきゃ組まない。私もそうだからだ。現場で事が起こったら、演出どころではない。けれども彼はやる。それができる監督を、私は天才と呼ぶ」