産業革命により発展目覚ましいロンドンで、彼は発見された。奇形の身体を、見世物として衆目に晒していた。
『エレファント・マン』(1980)は、実話を映画化したものである。ジョゼフ・メリック(1862~1890)の生涯に関して綴った、担当医フレデリック・トリーヴスの回顧録がベースとなっている。劇中での名前はジョンと変更され、経緯の前後、多少の脚色はあるが、ほぼ事実に基づいている。
重要なのは、メリックの気高い心の有り様が、決して虚飾ではないところである。
出生時、ジョゼフに異常はなく、健康な男児として生まれた。けれども一歳九ヶ月頃、口元に硬い腫れ物が現れ、数ヶ月すると右頬へ腫瘍となって拡がった。この、皮膚、骨格の変形と膨張は、終生に至るまで続いた。
不遇の息子に愛を注いでいた母メアリーは、ジョゼフが十一歳の頃、過労が招いた肺炎で亡くなる。ジョゼフは大きな精神的支柱を失い、家庭はより深刻な貧窮に陥った。
公立学校を卒業した十二歳の頃、ジョゼフは葉巻工場で働き始める。しかし、身体の変形と、それに伴う障害がさらに進み、工員が続けられなくなった。なので、父の勧めで行商人免許を得て、家業の商店の営業を始めた。けれどもその頃には、彼に出会す人々がパニックに陥るほど、ジョゼフの病状が進んでいた。異形著しい者が、訪問販売に来る。来られたほうは当惑しただろう。そのためか、彼は、行商人免許を剝奪されてしまう。
容姿が災いし、まともに働くことすらできない。家庭環境も酷かった。継母は彼を冷遇し、父親は彼を暴行する。ジョゼフは一時期、叔父の元に身を寄せていたが、十七歳の頃、己が意思で救貧院に入ることにした。
しかし救貧院も、人を人とも想わぬ荒んだ管理状況で、メリックは収容者からのいじめにも遭い、耐え難い生活環境だった。メリックはついに、巡業興行師に手紙を送り、自ら見世物に身を落とす決意をする。ここまでの経緯は、映画では描かれない。
メリックの病気については未だ特定されていない。同様の症例は各国で報告されており、プロテウス症候群という遺伝子疾患が最も有力な説だが、DNA検査をするにも、遺骨が古すぎて難しいとのことだ。
1981年日本公開時の、東宝東和の宣伝販促を、俺は今でも覚えている。それは下衆で卑俗なものだった。「感動」「真実のドラマ」などという惹句で繕っているが、実質は、「凄え醜い奴がいるぞ。絶対ビックリするから。見てみたいだろ?」という見世物小屋の客引きと同じだ。
劇中、幕前で興行師が口上を打つ。「人生は摩訶不思議! この生き物の母親は、妊娠四ヶ月の際、地図にもないアフリカの僻地で、野生の象に襲われた。親の因果が子に報い、息子は、哀れな姿で生まれた。紳士淑女の諸君、御覧いただこう。これが、世にも醜い、像人間だ!」
もちろんこれはメリックの病因ではなく、客の目耳を惹くための作り話だ。さすがにこれをそのまま言うほどアホではなかったが、当時の東宝東和の広告には、見世物興行のイヤラシさがあった。けれども、俺は不適切だとは考えない。
覗き見趣味、野次馬精神、スケベ心、怖いもの見たさ。低俗な人間でなくとも、このような心根は、誰もが共有している。それは、自身にも起こり得ることを知りたい、人間とはどういう生き物なのか知りたいという、知的好奇心でもある。入場のきっかけはそれで構わない。劇場から出てくる観客が、映画の経験によって変わればいい。
本作は二人の視点から綴られている。始めに医師トリーヴスが語り手となり、「エレファント・マン」ジョン・メリックを発見する。やがて映画の主観はメリックへと移る。それは、メリックが自分自身を発見し、人間関係の中で自我を得て、語り手を担えるようになるからだ。
苦しみの最中におり、味方もいないなら、人は心を閉ざす。「話をするのが怖かった」とメリックは吐露する。彼が安全を確保できる場所は、心の中しかなかった。彼がもし、終生心を開くことがなかったら、世間から、気味の悪い奇形者として蔑まれただけで、誰も彼の内宇宙を発見することもなく、やがて忘れ去られただろう。
メリックの肉体は、周囲の者の偏見を生みだすだけでなく、彼自身を内側に閉じ込める牢獄にもなっていた。この青年は、そんなものを背負って、生きてきた。
メリックに、深い思慮ができると知って、ロンドン病院のカー・ゴム院長が、トリーヴスに尋ねる。「彼の人生が想像できるかね?」トリーヴスは浅薄に返す。「ええ、想像できます」「いいや、誰にも想像などできない」院長がトリーヴスを窘める。想像を絶する辛酸を嘗めてきたのだろう、というだけでなく、そう容易に理解できるものではないという、他者の心への畏敬の念が、その科白に表れている。
メリックは、舞台女優マッジ・ケンドールから、『ロミオとジュリエット』の本を贈られる。その場で朗読するうちに、舞台女優と、戯曲のワンシーンを演じることになる。ここも重要なシーンだ。メリックはロンドン病院に匿われる以前から、読書を心の慰めとしていた。彼は文学を愛し、演劇を愛した。創作に親しんでいた。
知れば知るほど、悲しくなってくる。彼はもっと、大事にせねばならない人だった。メリックが心を開いてくれた、ということが、後世を生きる我々にとって、財産になっている。
メリックの高潔な人となりを演じ切ったジョン・ハートだけでなく、とにかく、役者たちが皆、素晴らしい。本作を観て、英国演劇界の伝統と豊かさをを贔屓したくなるが、いやいや、いい俳優は世界中にいる。ケンドールを演じたアン・バンクロフトは、プロデューサー、メル・ブルックスの奥さんで、アメリカ人である。彼女も適任だったと想う。ちなみに舞台版では、デヴィッド・ボウイが、特殊メイクなしで、身を捩ってメリックを演じた。
俺は半世紀に渡ってダラダラ生きてきたが、これまでに数人、演劇も映画も観ない、小説も読まない、という人間と出会った。
そのうちの一人をAさんとする。縁あって知り合いになったが、Aさんは、芸術に縁遠い人だった。音楽は、車の運転に退屈したら聴くもの。絵画は、「景色が綺麗だから」描くもの。芸術の存在意義を、その程度に認識していた。にも拘らず、権威に裏打ちされた、評価の定まった古典作品にだけは、関心を示したりした。
俺とAさんとは、面白いくらいに波長が合わなかった。同じ日本語で会話しているはずなのに、まるで意思が通い合わない。映画の話なぞした際に、Aさんは、「でも映画ってさ、結局、噓だから」と、臆面もなくのたまった。
おそらくAさんには、共感できないだろう。その音楽と同化することでしか、命を繋ぎ留められないという気持ちや、その詩の中しか避難場所がない、というほど追い詰められた気持ちは。この情動を小説に封じ込めなければ、この印象を石の中から削り出さねば、生きた心地もしないという切実さも、理解しがたいであろう。
俺がこれまでに出会った、芸術を顧みない人たちは、全員もれなく、他人の気持ちも顧みない人たちだった。
これはあくまで俺自身の経験に限ってのことだ。芸術に縁遠い人皆がそうだと断定するつもりはないし、普段から芸術に触れていたって、それが心を養う手段になっていないなら、Aさんと同類だ。
けれども、芸術に縁遠いことと、他人の心への配慮がないこととの間に、俺は相関性を見出してしまう。
芸術行為とは、誰かの心の有り様が、具現化されたものだ。その心の活動を写したものだ。力のある芸術作品なら、全く同じ軌道で、第三者の心を動かす。そこに、行為者本人がいないにも関わらず。
『エレファント・マン』の冒頭場面は、興行師の口上をなぞっている。実験映画のような風合いで、メリックの母親が、象に引き倒される映像が提示される。再度述べるが、これによってメリックが発症した訳ではない。あくまでもこの場面は、空想上のイメージに過ぎない。では、何故この場面を冒頭に据えたのか。そこに留意すべきである。
途中出てくる、メリックが見た悪夢も、同じ風合いで描かれる。また、終盤の、『長靴を履いた猫』(東映アニメを想い出す)の観劇シーンも、同様の、現実から遊離した感触で(さらにもっと儚げに、麗しく)描かれる。終局の、メリックの母からのメッセージも。
これらのシーンは全て、心の中の領域、心が創り上げたものを表している。空想であり、想像、創作の世界だ。
メリックが模型を作るシーンがあるが、実際にはマインツ大聖堂の模型である。これが劇中で、聖フィリップ大聖堂に変更されている。聖フィリップ大聖堂は、ロンドン病院の窓から望むと、壁に遮られ、尖塔しか見えない。けれども、メリックは想像力で補って、模型を完成させる。彼が死の床に横たわる夜を、自ら選んだのは、模型に署名を記した後だ。
この作劇上の翻案が素晴らしい。どんなに恵まれぬ境遇にある人間でも、心の中に、精緻な建造物を築くことができる。そして、それをそのまま、後世の、まだ見知らぬ人の心へと、移築することもできる。
形をもたないのものが、他の心へと引き継がれる。かつては存在し、今はいないはずの誰かの心を、ありありと感じ取ることができる。改めて考えると、これは驚異的なことではないか?
映画が噓をつくのは、核心に迫るためである。
『エレファント・マン』は、特異な容姿に苦しんだ青年の半生を題材に、人間の内宇宙について語る映画だ。
終局、メリックの母からの、詩のようなメッセージ。「決して死ぬことはない 川は流れ 風は吹く 雲は流れ 心臓は鼓動を打つ 全ては永遠に続く」
ジョゼフ・メリックよ、あなたの精神は、今もこうして、生きている。